深川消防団員も色んな形でボランティア活動に参加しています、今号ではその一部を掲載しました。
●「思い出」のアルバムを家族の元へ 岩手県大槌町へ……
清澄町にある仏教のNGO、アーユス(仏教国際協力ネットワーク)が、支援をしているNPOが募集したボランティアで、四月二十九日より四泊五日で、岩手県の大槌町に行って来ました。このNPO団体では、三月下旬より、どこで活動をするか被災地を回って検討した結果、役場が流され町長さんが犠牲になられ、復旧が遅れている大槌町に決め、炊き出しや子供の遊び相手、救援物資の仕分け、それに自衛隊ががれきの中から見つけてきたアルバムを待ち主に返すなどの活動をしているそうです。
このアルバムを持ち主に返す企画のボランティアをさせて頂きました。土や砂だらけのアルバムから写真を一枚一枚取り出し、洗面器で洗い洗濯ばさみで干し、新しいアルバムに入れて、避難所で展示をして、持ち主や知人に返すという行程でした。展示場では、写真を探しに来た人の約3割の方が自分の物や知人の物を見つけ「思い出」や「生きた証]を持ち帰ったようでした。写真の中には、インクが落ちている写真も多数あり、顔の部分を傷つけないように洗うのに苫労しましたが、地道に作業をした甲斐があったと思いました。
この震災で、消防署員や団員も犠牲になられたとの事、私達もこの教訓を生かし、想定外も想定して訓練や準備をしなければいけないと思いました。
合 掌
(ボランティア参加者・第四分団 正本編集員)
●柩が足りず被災地へ運ぶ 福島県相馬市へ……
私は新宿の葬儀社に勤務しており、去る3月29日、我が社が加盟している組合より福島県相馬市へのボランティア要請があった。日ごろから、消防団活動への理解がある会社であり、私自身の防災や団で培った知識を社員に広める活動をしている事もあり、担当役員より、同行の依頼があった為、即座に了解した。ご承知のとうり、家族は放射能の心配をしたが、消防団員であるがゆえなのか家族の反対を押し切って、期日の決定していない被災地へ向った。常磐道は通行止めの為、東北道で約6時間の道のりで相馬市へ入った。翌朝、我々は6名で現地の同組合業社と合流し、ある大きな工場へ案内された。ある程度想像はしていたもののとてつもない広い敷地の中で、数多くの警察官や我が社も提供した数多くの柩の山、そして次々にと運ばれてくる悲しい現実をまのあたりにし、そしてまた、画像では感じる事ができない360°にひろがる、すさまじい光景に絶句した。我々の
主な仕事は、枢の選別をはじめ地元警察との連携で身元が確認された遺体の火葬場への搬送であった。職務上ご遺体へのケア等については、何ら問題はなかったが、さすがに次々と運ばれてくる数多くのご遺体をまのあたりにし、涙を流さずにはいられなかった。心よりご冥福を析るだけである。
(葬儀社勤務団員 第一分団 目黒編集員)