●帰宅難民を経験して
3月11日(金)14時48分くらいだっただろうか?自分は東京都世田谷区、二子玉川駅前で仕事をしていたのだが、激しい揺れがあった瞬間、寝不足のため、目まいが起きたのかと思いながら、その場にしゃがみ込んでしまった。
近隣にある建物のガラス張りのエレベーターが本の葉のように揺れているのを見て、はじめて「地震」であることに気付いた。いっしょに什事していたスタッフから「とりあえず広場に避難しましょう」と声をかけられ、地べたを這うように広い場所へと移動した。
揺れは数分間続いたものの、それが未曾有の震災になっているとは思わず、中断した仕事を続けようとしていた。
しかし、仕事場に戻ろうとしても、エレベーターが動いておらず、仕方なしに屋外でできることから片づけ、車に戻りテレビを見て驚愕した。
映像は仙合空港のもので、津波が滑走路を押し寄せるものだった。もちろん、関係各所に連続したくても携帯電話はつながらない。
仕事は取りやめとなり、そのまま都心に車で戻ったのだが、港区赤坂までは通常、約30分で行ける道のりが、約4時間30分かかり、20時過ぎに到着した。
かろうじて、銀座線が動いているので溜他山王から銀座まで移動。4丁目交差点には帰宅を急ぐ人で22時を過ぎても大混雑していた。
22時10分過ぎ、自分も晴海通りを豊洲方面に歩き始め、勝どき橋を渡ろうと、橋の下を覗くと、隅田川沿いの遊歩道が水でぬれていることが見て取れた。
津波の影響なのだろうか?その後、15分ほど歩き晴海トリトンスクエア前で深川車庫行きのバスが来たので乗車。
まさに寿司詰め状態で、身動きできないほどの混雑ぶりだった。ところが、次の停留所に止まると、赤ちゃんを抱いたご婦人が乗車しようとしたのだが、
満員で乗車できない様子。なんとか、スペースをあけるために、自分は下車し、再び、徒歩にて豊洲方面に向かう。
運転手さんによると、東京駅から晴海トリトンまで約3時間かかったとのこと。震災当日の交通渋滞は想像を絶するものだったようだ。
23時、東雲の自宅に帰宅する。正直、我が家では震災対策で棚などは倒壊しないよう、天井と棚の上部を棒で支えていたので、「大丈夫」とタカをくくっていたのだが、玄関をあけて驚愕した。
本棚二本が倒壊し、本やCDソフトが散乱していた。よく見ると金属製の本棚の足の部分が潰れ、くにゃりと曲がっている。
つまり、天井と棚の天板との支えが強すぎて、遊びが無かったことで揺れに耐えきれず、本棚の足が潰れてしまい倒壊したようだった。それにしても、万が一、 在宅していたら、おそらく本棚の下敷きになっていたと思うとぞっとした思いだった。
今回の震災を機に、金属製の家具類の場合、頑丈に固定するよりも、少し遊びを残して固定してあげた方が、結果的に金属への負担を軽くし、倒壊を免れることを教わった。
消防団員として、震災時、速やかに出動できるようにするためにも、まずは自らの室内において、震災被害を最小限に食い止められるよう留意したい。
(第十分団 金子編集員)